祈りを捧げます
大切な人が、大切な人の大切な人が、辛い場面に遭遇しているのを見るのはとても悲しいものだ。
私の大事な人は、音楽を生きがいとする人。
だけど突発性難聴になっちゃった。マスゴミのすっぱ抜きとかじゃなく、彼のパートナーが電波に載せてその事実を知らせてくれた。それだけが唯一の救いだ。
今私は彼が歌ってる姿を目の隅で捉えながらこれを書いている。
正直しんどい。(彼がやってた番組のタイトル通りだ)
私にとって彼は、道しるべで憧れで、生きがい。彼が、彼の音楽がない人生なんて考えられないから。そして彼自身、「音楽に救われた」と話すような人だから。ただでさえ人一倍痛みを感じて生きてきた彼の見つけた道は音楽だから。
彼の健康を、祈ってる。
と同時に、大切な人の大切な人の幸せも祈ってる。
親友と言っていいのだろうか…私は勝手にそう思ってるんだけど…彼女の大切な人の身体に異変が起こっていることが分かった。詳しくは書く気は無いんだけど。
その方の身体のこと、と同時に彼女の心が心配でならない。
ただでさえ大切な人を失った人だから。私には到底理解できない程の痛みを味わったであろう人だから。それなのにいつも笑顔で、優しくって、素敵な人だから。私自身、彼女の笑顔をずっと見ていたいから。
彼女の大切な人の健康も、祈ることにした。
どうして悲しいことばかり起こるんだろうね。
喜ばしいこともたくさん起こってるはずだけど、どうしても悲しいことばかり目に付いてしまう。
悲しいという感情が社会を、世界を、取り巻いているような気がしてならない。
どうしたら皆が幸せになれるんだろうね。
私の生きがいがこんな歌を歌ってた。
「僕が笑ってる間にね、誰かが泣いているね。僕が泣いている間にね、誰かが笑えてるね。」
だとしても。
悲しみの分だけある喜びなんて、欲しくない。
少なくとも、私の大切な人達の悲しむ顔と引き換えに手に入れる喜びなんて、御免だ。
目に見えてわかるような事じゃなくて、大切な人が笑顔でいてくれること、それが一番の喜びだと。
気づいた私は一歩前に進めるのかな。
今私に出来ることは、ただ祈ることだけ。
歯痒いけど、仕方ないのだ。
どうか、どうか、皆が幸せでいられますように。
私の祈りが、どうか、遠い土地のあなたに、届きますように。
この身体、貴方様の幸せを祈り続けます。